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高橋藍選手のこれまでの軌跡は?明るい性格は家族や多くの人との出会いにあった!

高橋藍選手アイキャッチ

高橋藍選手は女性誌、「anan」の表紙を飾るなど、石川選手と共にモデルのような容姿で人気ですが、飾らない気さくで愛される人柄は、男子バレーボール日本代表のムードメイカーです。

この記事は、プロモーションを含みます。

高橋藍選手のプロフィール

全日本でも、万能プレイヤーで、特にレシーブに定評がある、高橋選手のプロフィールを見てみましょう。

  • 名前 「髙橋藍」と書いて、「たかはし・らん」
  • 生年月日 2001年12月8日生まれ
  • 出身 京都府
  • 身長 188cm
  • 血液型 0型
  • 出身高校 東山高等学校
  • 出身大学 日本体育大学
  • 最高到達地点 343cm
  • ポジション アウトサイドヒッター
  • 趣味 ギター アニメ「ワンピース」週刊少年ジャンプ『ハイキュー‼』好き
  • X @Ran_volley0902
  • Instagram @ran.volleyball0902

これまでの軌跡

育った環境は?

オープンな、暖かい家族の印象です。

【家族構成】

  • 父:政次(まさつぐ)さん、「お食事処三久」を京都で経営、料理人
  • 母:小百合さん 小百合さんは父親がアメリカ人で、母親が日本人のハーフになります
  • 兄:塁さん サントリーサンバーズ、バレーボールの選手
  • 妹:莉々さん

2歳年上のお兄さんの塁さんの影響でバレーボールを始めています。YouTube「らんるいちゃんねる」では、お兄さんとの仲の良さが伝わってきます。

【兄 高橋塁さんプロフィール】

  • 名前 髙橋 塁(たかはし るい)
  • 生年月日 2000年1月14日生まれ
  • 出身 京都府
  • 身長 186cm
  • 血液型 A型
  • 出身高校 東山高等学校
  • 出身大学 日本大学
  • 所属 サントリーサンバーズ

藍選手は生まれた瞬間からライバル(兄)がいたので、お兄さんに刺激され、相当な負けず嫌いでした

藍選手は、お兄さんを見本とし、後を追いかけて成長しています。

小学校時代は?(-2014年)

小学校時代は、お兄さんの塁選手の通うバレーボールチームの練習を見て、一緒に通い出します。

バレーボールチームは小学校1、2年生のグループと3年生以上のグループに分かれていましたが、理解力にも優れていた藍選手は、すぐに3年生以上のグループに混ざるようになります。

4年生になる頃にはエースになっていました。藍選手は小柄だったため当時はレシーバー。小学生時は、ローテーションがないため、ひたすら後衛でレシーブを受けていました。

【藍選手のコメント】

「バレーを始めた時からレシーブが好きだったし、得意でした。小学生の時は身長が高かったわけではないので、レシーブをしなきゃいけなかったですし。ずっと兄の塁が打って、僕が拾うという形でしたね。塁がバレーを好きすぎて、2人で遊ぶ時は常にボールを触っていた。練習が終わって家に帰ってからも、塁がうるさいぐらいに『藍、バレーしよう!』と言ってくるので、公園に行って自分たちでネットを作り、塁がスパイクを打って、自分はひたすらレシーブ(笑)。とにかく子供の頃から数多く取ってきたので、体に染み付いているのかなと思います」

NumbNumb Webより

兄の塁選手が小学校を卒業して、藍選手が5年生になる頃、母に「バレーをやめたい」と言い出しました。

自分1人になった時に、やっている意味がわからなくなって、嫌いではなかったけど、こんなにしんどい思いをしてまでやりたくないなと。でもその時はやめさせてもらえませんでした。

NumbNumb Webより

とあります。お母さんの言葉もあって、この苦しい時期を乗り越えます。気持ちを乗り越えた、藍選手の小学6年生の時の卒業文集には、『七年後のオリンピックにでる』と書いてあります。

中学時代は?(2014年-2017年)

京都市立蜂ヶ岡中学校へ入学します。

藍選手は、中学入学後もなかなか身長が伸びず、リベロ(バレーボールで、守備を専門にする選手。他の選手とは異なるユニホームを着る。)を務めていました。

この頃も、やめずに続けたのは、京都の強豪・東山高でエースとして活躍し、高校選抜に選出される兄の塁選手がいたからでした。

 ごく自然に兄と同じ道を選んだ藍選手は、高校に入学してからようやく身長が伸び始め、身体の成長がついてくるとポテンシャルを遺憾無く発揮していくことになります。

高校時代(2017年- 2020年)

東山高校時代

兄と同じ、東山高校へ入学しました。

高校時代に、ポジティブな性格に、変化していきます。

洛南高の大塚達宣(パナソニック)が1学年上にいて、常に高い壁として立ちはだかっていました。

強豪、ライバル、がいたからこそ成長できたと、言っています。

「僕はすごく緊張しいで、緊張して試合がうまくいかない。何でだろうと考えても答えが出ないし、その答えがどれだけちっぽけかと感じたときにすごく気持ちが楽になった」。

中日スポーツより

緊張して仕方がない時に、乗り越え、ポジティブなメンタルに成長していきました。

「いつか乗り越えられる。努力して立ち向かっていった先に成長した自分がいる」。

中日スポーツより

2020年全日本高等学校選手権大会では、東山高等学校初の優勝に貢献しています。

全日本代表入り(2020年)

高校3年の時に、全日本代表入りをしています。

日本代表のあんなに上まで行っちゃったんで、頼もしいというか。純粋に応援しているし、一緒にバレー界を盛り上げたいな

「今は、藍が頑張っているから、僕も頑張れます」

兄の塁選手はいいます。

藍選手が、大学一年くらいまでは、嫉妬もあったそうですが、今は全くないそうです。

日本体育大(2020年-2021年)

インカレ(インターカレッジ)での筑波大との試合、2セットダウンからの大逆転でフルセットの激闘を制した経験があります。

2セットダウンで流れを変えたいと思った1年の藍選手は、覚悟を持って言いました。

「自分が打ちます。自分に(トスを)持ってきて下さい」

4yearsより

「2セットを取られてから取り返して勝つことができた準々決勝があったから、強くなれました」と語っています。

インカレでは、日体大は準決勝で日本大学と対戦。ひとつの夢だったという兄・高橋塁(3年、東山)との兄弟対決を、この時は、日本大学を制しています。

「大学で日本一をとることはもちろんですが、誰に勝つ、どのチームに勝つではなく、自分自身がどれだけ成長できるか。それが自分だけじゃなく、日本のバレーボール界にとっても大切なことだと思う」

ずば抜けた存在”になりたいという気持ちが、より一層強くなりました」

4yearsより

高橋選手は日本体育大学在学中の2021年から3シーズンにわたって世界最高峰リーグのイタリアでプレーします。

イタリア・セリエAのパドヴァからオファーを受けました。。藍選手は日体大に在籍しながら渡欧することを決めました。

パッラヴォーロ・パドヴ(2021年-2023年)

はじめて、イタリアに渡った年は、リベロを経験しています。

イタリアでは、憧れの石川選手所属のチームとの試合がありました。

今回は同じアウトサイドヒッターとして石川選手と対戦する初めての機会。とても楽しみでしたが、自分でも驚くぐらい実は緊張感があって、石川選手を意識しすぎて余分な力が入ってしまいました。

Number webより

試合終了後の19時に予約したレストランへ行き、石川選手と2人で行き、延べ6時間以上話したそうです。

ヴェロ・バレー・モンツァ(2023年〜2024年)

藍選手は、移籍1季目にしてチームの準優勝に貢献。プレーオフ全14試合でチーム2位の212得点を挙げました。。

同じイタリアリーグでミラノに所属し、3位となった日本代表主将の石川祐希とは、帰国前にイタリア・モンツァでランチをしています。

憧れの石川祐希選手との話で、より信頼を深めたのではないでしょうか・・

サントリーへの移籍(2024年5月〜

移籍への会見中、その兄・塁選手からのビデオメッセージが流れ「高校生ぶりに一緒にプレーできること、プライベートでは一緒に飲みに行ったり、遊べること楽しみにしています」と弟の藍選手へコメントしています。

藍選手は、

『兄がいるというのも、すごく背中を押されて心強いと思っているので、一緒に日本一、世界一を目指して頑張れたら』と話しました。

好きな言葉は?

藍選手のSNSのプロフィール欄に記載されている言葉です。

 『勇気と信念が世界を変える

『プリズン・ブレイク』という海外ドラマの中で出てくる言葉で、高橋藍選手の座右の銘となっています。

家族の支え

藍選手のお母さんのコメント

「藍の好物はハンバーグと中華丼。麻婆豆腐も好きですね。あとは大根の葉っぱをごま油とジャコで炒めて食べるのが好きなので、帰省したら絶対につくります。本当はイタリアでもつくってあげたいんですけど、大根の葉っぱはさすがに手に入れられないですからね」

 藍選手は『おかんのハンバーグが一番好き』と言っています。量を増やしてあげたくて豆腐を混ぜた愛情ハンバーグが、チカラになってきたのですね。

 

石川祐希、アイキャッチ
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まとめ

藍選手の明るさは、暖かい家族と、多くの関わった監督や友人、仲間を信頼し、仲間の為にという思いが強く、自分の努力と共に、良い人間関係に、はぐくまれたからだと思います。

日本男子がパリ大会でメダルを獲得すれば1972年ミュンヘン大会以来、52年ぶりの快挙になります。

高橋蘭選手は、パリオリンピック送行会でも笑いをとって、雰囲気を和ませてくれました。

みんなで応援のパワーを送りたいですね。

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「50代以上からでもできる、家事代行の仕事」 50 代から、まったく経験したことがない、『家事代行の仕事』にトライして、のべ1000件以上のお宅を訪問して得た「経験」をもとに記事にしています。ちょっと不安に思っている方の参考になれば幸いです。